ホールの北東角に、「西代藩陣屋跡遺跡」の案内板があります。
これによりますと、ラブリーホールの敷地には、江戸時代に西代藩一万石の陣屋があったそうです。陣屋とは、城のような天守閣や石垣がなく、塀で囲った屋敷で、藩政の拠点だそうな。
西代藩主本多忠統(ただむね)がこの地に陣屋を置いたのが、宝永8年(1711)ということで、今年は西代藩陣屋-300周年-です。
ちなみに、今の町名でいうと、殿様の名前の「本多」町は長野中学校辺りで、藩の名前の「西代」(にしだい)町はラブリーホールの辺りです。 なお、西代神社は「にしんだいじんじゃ」と読むそうです。
河内長野の歴史をもう少しお知りになりたい方には、「図説 河内長野市史」がお勧めです。西代藩は72ページに記載されています。